サブリミナル・マインド 下條信輔 著 書評 まとめ

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『サブリミナル・マインド』下條信輔 著を序章から第九講まで10回に渡って、一講ずつレビューしてきました。

2004年に購入して以来、何度も挫折してきましたが、コロナ禍で時間もたっぷりとあったおかげで、じっくりと読み込むことができました。

序章から第九講まで一講ずつ十記事を書きました。

全十記事のまとめ記事を書きます。

序章 私の中の見知らぬ私

人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない

これが本書のセントラル・ドグマです。

「潜在的認知過程」とは「暗黙知」です。

それは、知っていることを言語化できない、または自覚なしに知っているという状態です。

このセントラル・ドグマを認めることは、個体と自由意志の尊厳を根底からくつがえしかねないと下條信輔氏は述べました。

序章 私の中の私の中の見知らぬ私 レビュー

第一講 自分はもう一人の他人である

自分の感情とは、自分の内側からくるものだと思っていました。

ところが、内的な手がかりというのは案外乏しく、ごく一般的な生理的な興奮だけだというのです。

感情とは、そのときに外部で起こっている状況に合理的な解釈を与えるために、無自覚にラベルづけしたものなのです。

そのラベルづけは他人に対して推論するように、自分の行動から導き出します。

第一講 自分はもう一人の他人である レビュー

第二講 悲しいのはどうしてか

感情はふたつの要素がそろうことで認知されます。

  1. 生理的興奮の認知
  2. 環境へのラベルづけ (原因の帰属)

これを情動二要因論と呼びます。

ひとつめの生理的興奮とはとても曖昧なものです。

つり橋を渡る怖さは、たまたまそのとき美女と会うことで、性的興奮に置き換えられてしまうという、実験結果が示されました。

さらに、生理的興奮がなくても、その認知さえあれば、感情のラベルづけが起こります。

この認知とラベルづけの過程は無自覚に行われています。

それは行動や態度にも現れますが、その言語報告は、本来の理由とは乖離が見られることが実験結果で示されています。

私たちの行動とは、思ったより無自覚の過程によって引き起こされており、自覚できて言語報告できるのは出力の部分だけで、感情の理由は本当の理由ではないかもしれないのです。

第二講 悲しいのはどうしてか 感情のメカニズム レビュー

第三講 もうひとりの私

脳はいくつかのサブシステムから成っていることが分離脳の実験からわかりました。

意識、言語を担う部分は、その中のほんの一部なのです。

分離脳の実験では、右半球系は、患者が「知らないうち」に知的にふるまっていることが示されました。

そして左半球の言語系は、右半球の行動の理由を錯覚していたのです。

それは単なるつじつま合わせとも取れるような錯覚のしかたです。

脳の中のいくつかのサブシステムは、それぞれが独自の衝動と行動能力を持っているのです。

その途中経過は自覚できないので、その結果のみを読み取って、つじつま合わせの理由とともに、自己が行ったと認識(錯覚)をしているのです。

第三講 もうひとりの私 分割脳と自己 レビュー

第四講 否認する患者たち

四種類の脳損傷の患者での実験結果が紹介されました。

  • 盲視覚
  • 半側無視
  • 相貌失認
  • 失語症

いずれの場合でも、自覚はされないけれども潜在的に認知している証拠が示されました。

潜在的な認知は、行動や判断にも影響を与えます。

それらは高度な認知機能であり、言語機能とは一致しないことがわかります。

意識が言語機能であるとすれば、意識で自覚できない高度な認知機能が存在することを証明しています。

第四講 否認する患者たち 脳損傷の症例から レビュー

第五講 忘れたが覚えている

記憶にも潜在的で自覚できない過程が存在することが示されました。

顕在的な記憶は再生ができます。

潜在的な記憶は再認、再学習に見られます。

健忘症の研究から、障害を受ける記憶とそうでない記憶があることがわかりました。

宣言記憶(knowing what)は失われるが、手続き記憶(knowing how)は失われません。

宣言記憶のサブシステムの中でも違いがあります。

エピソード記憶は障害を受けるが、意味記憶は失われません。

第五講 忘れたが覚えている 記憶障害と潜在記憶 レビュー

第六講 見えないのに見えている

カクテルパーティー効果のような、意識下にのぼらない注意過程について学びました。

この過程を前注意過程と呼び、下條信輔氏は私たちの視知覚過程の大部分は前注意過程であると解説しました。

前注意過程は、刺激依存的、盲目的、並列的であり、自覚されることはありません。

意識は、たかだかその処理の結果(出力)を知覚として経験するにすぎないのです。

第六講 見えないのに見えている 閾下知覚と前注意過程 レビュー

第七講 操られる「好み」と「自由」

サブリミナルな単純呈示効果が、私たちが思っている以上に「好み」に影響を与えていることがわかりました。

単純呈示効果とは、繰り返し経験するだけで、好感度、愛着、選好性などが増大することです。

その効果は、経験を自覚していないときのほうが大きくなります。

これは情動二要因論で説明ができます。

無自覚に何度も経験したものを選好したとき、その原因を帰属できないため、自分の「好み」であるというラベルづけを行ってしまうのです。

私たちの購買行動は、実はそれほど自由なものではなかったのです。

第七講 操られる「好み」と「自由」 サブリミナル・コマーシャリズム レビュー

第八講 無自覚の「意志」

顕在的過程のもっともはっきりした例は、自発的意志による運動です。

自発的運動は、合目的であり、随意運動とも呼ばれます。

断頭カエルの実験では、脊髄だけで高次の随意運動が可能なことが示されました。

この結果からは、自発的運動や随意運動はそもそも、脊髄レベルの反射と同じものであったのではないかという問題提起がされます。

この考え方は、潜在的過程で顕在的過程を理解しようとする「機械論」の系譜につながります。

「潜在的過程も顕在的過程と同様に、意図や故意性や願望や好みを持つのだろうか」という問題提起に対して、下條信輔氏は以下のように答えました。

両過程は本質的に違っており、ある情報・知識の処理過程が一方から他方へと映るときには、何らかのダイナミックな全体的変化が生じる。

第八講 無自覚の「意志」運動制御の生理学と哲学 レビュー

第九講 私の中の悪魔

罪と責任についての考察から、現代社会の人間観へと展開されました。

責任についての考えは、自由意志論にもとづく立場と、機械的決定論にもとづく立場で対立が見られます。

下條信輔氏は、独立した意志を持つ単位としての個体、究極的な価値としての自由は、急速にその根拠を失い崩壊していくと、述べました。

下條信輔氏の推し進める心理学は、潜在的人間観にもとづき、顕在・潜在両過程を区別し相互作用を考えます。

自分の心と行動を、他人のそれらとともに、統一的に理解するのです。

第九講 私の中の悪魔 自由意志と「罪」をめぐって レビュー

まとめ

下條信輔氏は序章で、潜在的人間観は、自由意志の尊厳とそれにのっとった社会の規範を根底からくつがえしかねないと述べました。

各講では、「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」という実験結果がこれでもかと示されました。

しかし、最終的に前野隆司氏が主張するような「意識は幻想である」という結論には至りませんでした。

下條信輔氏は、潜在的過程と顕在的過程は本質的に異なっており、その相互作用を考えることでそれらを統一的に理解するという立場を表明しました。

本書では顕在的過程は、潜在的過程の出力だけを受け取っているという実験結果は示されたものの、その逆の顕在的過程が潜在的過程に及ぼす影響については紹介されてはいません。

本書のあとに刊行された書籍で、それを探してみたいと思います。