本講のテーマは、人の示す好き嫌いや、選択行動に影響を及ぼす、潜在的な要因は何かという問題です。
人がものを購入するとき、それは内発的動機によって行動したと考えます。
しかし、これから述べる潜在過程を考えると、内発的動機というのはたいへんあやしいものであることがわかります。
下條信輔氏は、「自覚的過程と無自覚的過程とはどのように相互作用するのか」、つまり、「自覚的過程よって、無自覚的過程とどのように折り合いをつけ、制御しうるのか」について切り込みます。
単純呈示効果
コマーシャルの販売促進には大きく分けて二つの原理が働いています。
ひとつは「説得性原理」です。
この商品が、いかに他の製品に比べて優れているかを、消費者に納得させることです。
もうひとつの原理が「親近性原理」です。
単に商品を見知っていたり、聞き覚えがあったり、なじみがあったりするだけで、消費者から選択される可能性が高まる効果です。
これは「単純呈示効果」と呼ばれており、特定の対象をただ繰り返し経験するだけで、その対象に対する好感度、愛着、選好性などが増大します。
「ただ繰り返し経験するだけ」というのがミソで、知識や関わりは必要ありません。
繰り返しの数は数十回までは、機械的に効果が増大します。
これは商品であれ、人であれ、絵画など、あらゆるものに働き、頑健で再現性の高い効果です。
サブリミナル単純呈示効果
この効果は、本人がそれを経験したという自覚がなくても成立します。
下條信輔氏は『サイエンス』誌に掲載された、ウィルソンとザイオンスによる劇的な事例を紹介しています。
無意味なランダムな八角形を1ミリ秒だけ、五回瞬間呈示したあと、新しい図形と一緒に呈示し、「先ほど呈示したのはどちらか」、という課題を出しました。
この課題では、結果は偶然の水準の50%前後でした。
それにもかかわらず、「より好ましいのはどちらか」を判断させたところ、60%の割合で以前に呈示された図形を選びました。
この結果から、実験者らは、「意識的な再認とは独立に、潜在記憶にもとづいて好ましさの判断を行う過程がある」と結論しました。
「見覚えがある」という確信はあてにならない
上記の実験では、「先ほど提示したのはどちらか」という課題に、「確信度」もあわせて評定させました。
結果は、「非常に自信あり」も、「やや自信あり」も、両方とも正答率は50%を超えることはありませんでした。
人の「見覚えがある」という記憶も、その自信もあてにならないことが明らかとなりました。
私たちがよく感じる「既視感」も残念ながら、単なる思い込みだったのです。
何を聞かれても選んでしまう
マンドラーらは、この実験を再検討しましたが、驚嘆すべき結果が出ました。
(1)再認(2)好みに加えて、(3)明るさ(4)暗さの二択判断を被験者に求めました。
再認と好みについて、先行研究を追認しました。
明るさの判断でも、以前に呈示されたほうの図形を選択する率が明らかに高まりました。
図形には明るさの差があったわけではありません。
もっと意外なことは、暗さの判断の結果も、前に呈示されたほうの図形を選択する傾向がありました。
明るさと、暗さという、対の図形で物理的に差がない選択課題であっても、経験済みの刺激のほうを選ぶ強い傾向があったのです。
マンドラーたちは、こう結論づけました。
「再認できないような潜在的な知覚・記憶の効果は、選好判断だけに限定されるものではなくて、もっと一般的なものではないか」
その後、ボーンシュタインらはこの効果を「知覚的流暢性」と呼びました。
ボーンシュタインは刺激の反復による好感度が、閾上(外的手がかりが認知されている)の場合と閾下(外的手がかりが認知されていない)の場合で、どう違うかを比較する実験を行いました。
結果は、反復数が数十回と十分な数になれば、閾下の刺激のほうが単純呈示効果が大きくなりました。
この理由としてボーンシュタインは、閾上の場合は、過去の経験を自覚しているので、選択の理由を自問自答することができ、抑制に働く可能性があります。
つまり、原因を過去の経験に「帰属」させることが可能になります。
閾下の場合は、正しい「帰属」はできず、自分の好みだからとか、誤った「帰属」が起こりやすいといえます。
これは情動二要因理論の基本原理です。
情動は生体反応の喚起を認知し、原因のラベルづけを行うことで成立します。
外的手がかりが認知されない場合に、自分自身が「うれしくなる」、「楽しくなる」、「好きになる」といった方向の情動的変化が起こります。
「見覚えのないコマーシャル」の力
これまで紹介された実験結果を通して、私たちはコマーシャルから受けている影響について考えざるを得ません。
コマーシャルを繰り返し機械的に見せられるだけで、好感度が増大してしまうということだけでも恐るべき事実です。
その上、コマーシャルで見たという記憶がないほうが、効果は大きいのです。
本当はコマーシャルの影響を受けているのに、当人としては「これは自分本来の好みなのだ」と声高に主張しかねません。
自分では自由意志にもとづく行動だと思っている購買行動が、実はそれほど「自由」なものではないといえます。
主観的な「自由」や「自発的な意志」というフィーリングは、どういう心の過程に支えられているのかという重大な問題が提起されています。
まとめ
私たちは、日々選択をして生きています。
自分の意志で、自分で考えて選択していると思ってきました。
実は自分で自覚していない認知から、多くの影響を受けているのです。
私たちの記憶は、ひどくあてにならないという実験結果から考えると、私たちの選択は自分の内部からではなく、外部からの影響によってなされたと考えるほうが正しいと思えます。
そしてその選択の理由を、そのときに起こっていた状況に帰属させ、「これは好きだ」という情動までつくりだしています。
自発的な意志はないという前提に立てば、ぼくたちの行動はすべて外部に依存していると考えるほかはありません。