この講でも、ぼくの常識を大きくくつがえす事実が紹介されました。
それは、人の心とは、ひとつに統合されたものではなく、いくつかのサブシステムからなっているということです。
サブシステムは、それぞれ独自に作動し、他のサブシステムの動きを知ることができません。
言語化するということは、サブシステムが無自覚に行った結果を観察して、その起源を事実として推測しているにすぎないのです。
脳の計算容量は膨大である
脳は膨大な量の計算を毎秒こなしています。
しかも私たちはそれにまったく気づきません。
私たちの神経系のなしている仕事量と、実際に意識に生じているイベントとを量的に比較すると、潜在的なメンタル・プロセス(心的過程)の存在を認めるしかないと、下條信輔氏は解説しています。
意識とは脳の特定の場所での活動である
睡眠と覚醒、脳損傷や薬物による昏睡状態などで、対応する脳の状態が、神経生理学的に、すでに明らかになっています。
中枢神経の過程のうちのある部分は無意識的(無自覚的)、別の部分は意識的(自覚的)ということです。
下條信輔氏は、これを局在論と呼び、意識と無意識を理解するために、最もわかりやすく有力な立場であると述べています。
分割脳患者の視覚、認知、反応について
てんかんなどの治療では、左右の脳の間をつないでいる脳梁を切断することがあります。
その結果大脳両半球が分離した患者の脳の状態を、分割脳と呼びます。
脳の左半球は、右視野、右半球は左視野を認知します。
(左右どちらの眼で見ているかには依存しません)
左半球は右手を、右半球は左手を制御します。
分割脳では視覚、認知、反応まで、それぞれの半球が独立に並行して仕事をします。
言語機能の90%は左半球が担っているため、右視野、右手で知覚したものは雄弁に語ることができますが、反対は不確かで、黙ってしまうという現象が起こります。
分割脳の実験から
異なる隣人が脳に同居する
ノーベル賞を受賞したスペリー、ガザニガらの実験です。
- テーブルの上にさまざまな品物を置き、見ることはできないが、触覚的に対象を同定できるようにしておく
- 患者の前にある、スクリーン左視野、または右視野に品物の名前を瞬間的に呈示する
- その対象を左、または右手で手さぐりで当てる
これは、単語の意味を理解し、対象の知識を呼び起こし、触覚的に予期し、実際の触覚情報とを比較・照合、といった複数の過程を伴う、複雑で高度の認知課題です。
結果は、分割脳患者のうち何人かは、左半球、のみならず右半球だけでも正解できました。
左半球系の場合、単語が呈示された直後に、何が見えたかを答えて、それと同時に手でそれをつまみ上げました。
右半球系が正解にたどりつく間、患者は自分が何をしているのかまったく自覚できませんでした。
患者は、「何も見えなかった」、「何かあったようだ」と表現しました。
しかし、左手はちゃんと対象のものをつまみ上げることができたのです。
この実験でわかったことは、以下です。
- 右半球は、患者の「知らないうちに」に知的にふるまって課題を解決してしまう
- そのとき左半球の言語系は「隣人」の勝手なふるまいにとまどっいるかのようにふるまう
言語系は「隣人」の行動の理由を錯覚する
分割脳患者で両視野同時呈示課題という実験があります。
- 右視野、左視野に同時にまったく関係のない光景を瞬間だけ移す
- 光景と関係の深い絵をテーブルの上に並べられたプレートの中から選ぶ
患者は、左視野に「雪の降る風景」を見て、左手で「シャベル」のプレートを選びました。
右視野には「鳥の足」を見て、右手で「ニワトリ」のプレートを選びました。
今何が見えましたかという問いに、患者は、鳥のツメを見たのでニワトリを選んだ、そしてニワトリ小屋をシャベルで掃除しなければならないと、答えました。
左半球の言語系が、右半球系の行動を外から観察してつじつま合わせをしたのです。
しかも患者は、それを事実として語りました。
右半球の高度に知的なふるまいを、左半球は直接知ることはできず、推測しつつ、しかし推測しているということは気づかずに、事実として認知し記述しているのです。
人の心は単一ではない
患者の右半球に「こすれ」という指示を出しました。
患者は、手で頭の後ろをこすったが、命令について問われると、「かゆい」と返事をしました。
事実とは違いますが、行動とのつじつまは合っています。
患者の右半球に「ボクサーのふりをせよ」という指示を出しました。
患者はファイティングポーズを取り、見えた語は「ボクサー」だったと言い当てました。
別の機会に、腕を押さえて「ボクサー」と呈示したところ、「何も見えなかった」と答えました。
数秒後に腕を自由にしてあげると、今度はボクサーのポーズをとって、「ああ、さっきのはボクサーだった」と答えました。
自分のしぐさを見てからでないと、自分が何の真似をしているかわからなかったのです。
意識的・言語的な「自己」は、私たちの行動が何によって起こっているかという起源を、つねに感知しているとは限らないことがわかります。
自分が何をしているかを考慮する結果として、逆に個人の現実感覚や信念体系が成立します。
これは今までの概念とはまったく逆です。
この「外的」観察と推論・解釈という点は、一講、二講に書かれた、自己知覚理論、情動二要因説につながります。
分割脳の事例は、人が統合された単一の心理学的実態であるという信念は幻想に過ぎないことを示しています。
人の心とは、完全には統合されていない多元的なシステムです。
サブシステムはそれぞれに行為への独自の衝動と行動能力を持っていて、互いに相手を熟知しているとは限らないのです。
認知機能の発達的側面からの考察
人の心が、多元的であるということは、こどもの心の発達的側面から考えると、それほどおかしなことではないと、下條信輔氏は解説します。
情動システム・知覚システム・動機づけシステムなどは、言語システムよりはるかに早い段階で、互いに独立に発達します。
遅れて発達した言語システムは、これらのシステムのふるまいをモニターするようになリます。
外から観察し、原因を推論し、後づけで何かに帰するのです。
このようなプロセスによって「統合された単一の自己」という幻想が生まれた考えることができます。
今日の人間観との矛盾
下條信輔氏は、サブシステムからなる心は、今日という時代の人間観にほとんど反していると強調します。
選挙でなぜひとり一票と決まっているのでしょうか。
判断や評価の主体=基本単位として、「個人」を考え、「統合された単一の自己」を基本ユニットとして民主主義の理念を構成することに、誰も疑念を持っていません。
統合された単一の自己とは共同幻想です。
人の行動は矛盾だらけで、人々の信じるほど確固たる神経生理学的・心理学的基盤を必ずしも持っていないと、下條信輔氏は力説します。
まとめ
本講では、分割脳の実験結果から、異なる隣人が一人の心の中に同居することがわかりました。
両半球の区分以外にも、人の心は多くのサブシステムから成っています。
そのシステムは無自覚・潜在的で、 その認知過程について、自分の行動から無自覚的に推測しているのです。