記憶のパラドクス
私が、「私」であるという一貫性は、記憶によって成り立っているといえるでしょう。
私たちは、「私」にひもづいた過去の体験を連続して記憶していることで、他人とは違う「私」という意識を持つことができます。
この記憶を「エピソード記憶」といいます。
今の「私」が生まれる前の「私」のエピソード記憶をもっているのが、いわゆる「前世記憶」です。
今世でも前世でも、エピソード記憶があることで、自分のアイデンティティの連続性を確信できるのだと思います。
「思い出し」や「よみがえり」という現象には、不思議なことが多いと下條信輔氏は述べています。
完全に忘れていたことが、あるきっかけでまざまざとよみがえることがあります。
思い出すたびに、状況や文脈に応じて、その内容が著しく変化することが知られて折り、裁判などで目撃者の証言があてにならないのはなぜか、記憶心理学者の議論の的になっています。
記憶にまつわる様々なミステリーやパラドクスは、潜在記憶、つまり覚えているという本人の自覚なしの記憶の過程を認めることによって初めて解消すると、下條信輔氏は強調します。
潜在記憶の研究史
19世紀後半以降になると、潜在記憶の実証的な証拠が続出しましたがそれらは四つの研究領域に大別できます。
第一は霊能研究です。
霊的力の存在する証拠とされた実験のうちで、後から考えると実は潜在記憶の働きを示唆すると思われるものが案外多いのだそうです。
前世の記憶と言われているものはその典型です。
第二は脳損傷患者の認知機能を調べる神経学です。
第三にジャネ、フロイト、ブリューワーらの精神分析学です。
神経症やヒステリー患者の症状の原因は抑圧された記憶に求められますから、潜在的な記憶システムの存在という考え方につながるのは当然です。
そして最後は実験心理学です。
中でも次に紹介するエビングハウスの「無意味つづり」を使った研究は新しい研究分野を開拓する画期的なものでした。
潜在的な記憶と顕在的な記憶
ところで潜在的な記憶と顕在的な記憶は、どのように定義し、区別されるのでしょうか。
下條信輔氏は、シャクターによる潜在的な記憶の規定を紹介しています。
「まず被験者はある課題を遂行することによって、特定の知識を持っていることを示せますが、しかしその知識を持っていることに自ら意識的に気づくことはなく、またその知識に意図的自覚的にアクセスすることもできません。」
再生・再認・再学習
エビングハウスが1885年に発表した研究の特徴は、日常的な出来事、事物、名前などではなしに、「無意味つづり」を刺激として用いた点にあります。
「無意味つづり」とは、adw、ack、など、アルファベットの、単語にならない連続した並びのことです。
エビングハウスは三通りの異なった方法での記憶の存在を示しました。
一つは再生です。
つまり単純につづりを自由に想起できることです。
もう一つは再認です。
これは自発的に思い出せないが、目の前に示されたり読み上げられたりすれば、リストの中にあったと判断できる場合です。
そういうつづりの存在は、潜在記憶があることの証拠といえます。
さらに第三の方法によって、潜在記憶の証拠はより明確となりました。
それは再学習です。
再生も再認もできないつづりであっても、忘却の後もう一度学習させると初めての時よりも、短い時間で基準に到達する、つまり学習の効率が良いのです。
これは忘却したと思っていても、再生・再認ができなくても、完全に忘却したわけではないということを示しています 。
下條信輔氏は、本書で三層構造の氷山のモデルを呈示しました。
氷山の上には、再生があり、その下に再認、再学習と続きます。
海面は意識と無意識の境目で、再認と再学習の間を行き来します。
健忘症
健忘症とは脳損傷に由来する記憶障害の総称です。
時間という観点から言うと順行性健忘と逆行性健忘とに大別されます
順行性健忘では新しい材料や出来事を記憶できず、障害が生じた時点から死ぬまで一切の事件を記憶できません
逆行性健忘の患者では、障害が生じた時点より以前の出来事を想起できなくなります。
しかも古い事件は比較的よく早期できるのに、新しい事件ほど想起が困難であることが知られています。
中年以上の人々は皆多かれ少なかれ順向性健忘で、高齢者は皆逆行性健忘であるといえます。
宣言記憶と手続記憶
健忘症の記憶と障害は、ある種類の記憶に対して選択的に起こると言われています。
いくつかあるうちのある種の記憶だけが障害を受けます。
逆に言えば何種類かの記憶についてはほとんど障害を受けません。
この事は記憶についての多元システム説の有力な証拠になります。
それとともに障害を受けやすい記憶と受けにくい記憶との比較から、顕在的な記憶とは別の潜在的記憶の存在が強く示されるのです。
神経学者スクワイアによれば「宣言記憶」は損なわれますが「手続記憶」は損なわれません。
この区別と命名はソフトウェアの分野での区別と共通するものですが、「事柄の知識(knowing that)」と「やり方の知識(knowing how)」の区別にも対応しています。
宣言記憶というのが事柄の知識で、意識的な想起が可能な記憶であり、内容について述べることができます。
これは主に学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で、健忘症では強い障害を示します。
これに対して手続き記憶はやり方の知識のようなもので、学習された技能や認知的操作の変容に関わる記憶で、健忘症でも障害されずに残ります。
自転車乗りや、スポーツ、ゲームなどの技能です。
記憶と意識の発生
宣言記憶と手続記憶は以下の三つの点で違っていると、スクワイアの一派は主張しています。
- 貯蔵される情報の種類
- 情報の用いられ方
- 関与する神経組織
古典的条件づけも、オペラント条件付けも、3の点から考えて、ともに手続記憶とされます。
宣言記憶は系統発生的には比較的新しく、また個体発生的に見ても手続記憶が先に発達するのだろうと言われています。
その証拠に生後二年目までのことは誰も覚えていないでしょう。
これを乳児性健忘とか乳幼児期健忘などと言います。
自覚できない潜在記憶だけが先にあり、近くで報告できる顕在記憶が未熟で後で意識的に思い出せないなどと考えられているのです。
エピソード記憶と意味記憶
スクワイアの論敵である心理学者ダルヴィングは、別の有力な多元説を唱えています。
彼によれば「エピソード記憶」は損なわれますが、「意味記憶」は損なわれないといいます。
エピソード記憶とは個人的体験のいわば日記的・自伝的な記憶のことで、日時と場所つきで明確に想起が可能なエピソードの記憶です。
これに対して意味記憶とは、世間一般でいう知識事実や概念です。
タルヴィング自身の扱った健忘症の患者では、チェスのルールはちゃんと覚えているいるのに、どこで習い覚えとかさっぱり記憶にないとか、ある会社や業界用語について詳しく知っているのに、自分がかつてその会社にいたからだということがわからないなどといった例があげられています。
これらはいずれも意味記憶は保存されたが、エピソード記憶は損なわれたと考えられます。
これと似た例で興味深いのが「出典健忘」と呼ばれる症状です。
最近獲得された情報の内容を覚えておくことはできますが、いつどこで獲得したか覚えられません。
女性の健忘症患者の例では、医者はわざと針を手に隠し持って握手を求めました。
当然患者は痛がりました。
次に患者が訪れたときも医者は握手を求めましたが、患者はそれを拒みました。
理由を尋ねると、彼女は今私の手は汚れているので、と答えたそうです。
原因を他所に誤って帰属するという点では、以前の講で紹介された帰属の例と同じです。
つまりこの患者は、前回針で刺されたというエピソードに関する記憶を失っています。
しかし何らかの不快な情報だけは無自覚に残っていて、そのせいで握手を拒みました。
エピソード記憶と意味記憶は、ともに顕在的であり、宣言記憶のサブシステムと見られています。
まとめ
記憶にはさまざまな種類があり、それぞれが独立した多元的なシステムであることがわかりました。
脳損傷の症例から得られた潜在記憶の知見は、潜在的な認知の過程を証明する強力な材料を提供しています。