『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』下條信輔 著 を読みました。
あまりにも内容が濃すぎて、レビューを自分なりの分類でまとめるのは困難です 。
すべての章を一つ一つ丁寧に自分の言葉でまとめることで、自身の知識として蓄えたいという欲望を強くかき立てられました。
そういうわけで、1章ずつ分けてレビューをまとめていきます。
『サブリミナル・マインド』序章
人間科学の「セントラル・ドグマ」とは
「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」というのが、下條信輔氏が設定した、人間科学の「セントラル・ドグマ」です。
「セントラル・ドグマ」とは、中心に流れる思想、教義、命題、一貫するメッセージ です。
DNA→RNA→タンパク質の、特定の順序で複製し循環する関係、分子生物学では、これを軸として大きな発展をとげました。
下條信輔氏は、認知行動科学においても、この、「認知過程の潜在性」の切り口でとらえることによって、鮮やかな断面を見せることができると強調しました。
人間観の二つの極みとは
今日(本書発刊 1996/10)の、人間観にはおおきく二つの極みがあると、下條信輔氏は解説します。
一つは、人間の絶対的な自由意志を100%認める立場です。
2020年現在においても、これは、ほとんどすべての人が疑わない考え方です。
ぼくたちは教育を通じて、努力して成長を目指すのが正しいと、すりこまれてきました。
現代の民主主義の社会は、個人の自由な権利を認める一方で、責任を求めています。
このように、人間の自由意志の存在は、正しいかどうかを疑うこともなく、社会や倫理の前提となっています。
もう一つの極みとは、人の行為や意志はいくらあがいても環境の影響から流れることはできず、あらかじめ定められた法則にのっとってしかふるまえないという立場です。
この考えは長い歴史があり、有力な支持者たちがいたそうです。
このことはぼくにとっては意外でした。
人間機械論、ライプニッツの予定調和説、神の見えざる手、マクスウェルのデーモン、などの説があります。
ぼくが、これまでに触れた、自由意志は幻想だと主張する説は、2つです。
森田健氏の「運命を変える未来からの情報」という本で、「六爻占術」という高い確率で当たる占いがあり、未来や運命は決まっているようだと知りました。
前野隆司氏の「受動意識仮説」では、意識を以下のように説明しています。
意識とは、脳のニューラルネットワークの活動の結果を受け取っているだけの受動的な機能であり、役割としては、エピソード記憶をつかさどっている。
私という存在があるという意識は、幻想であるとの結論を導き出しています。
この本が明らかにすること
下條信輔氏は、本書が明らかにする、潜在的認知過程の考え方は、先の二つの極みの後者の考えに加担すると、自身の立場を明らかにしています。
このことは、人間の自由意志の尊厳と、それにのっとった社会の諸々の約束ごとを根底からくつがえしかねないと述べています。
とりわけ倫理的に困難な問題を、私たちにつきつけるのです。
下條信輔氏は、「潜在的認知過程」とは「暗黙知」であると表現しています。
「暗黙知」には、以下の二つがあります。
知っていることを言語化できない、または自覚なしに知っているという状態です。
前者は、スポーツ、芸術などに秀でた人が、実際に行って見せることはできても、客観的に表現し難いという感覚です。
本書では「心身過程の潜在性」というドグマの根拠と妥当性を検討し、倫理観、自由意志と責任、罪と罰といった話題にまで掘り下げて考える、と下條信輔氏は序章で意気込みを述べました。
まとめ
ぼくは、本書を10年以上前に購入していたのですが、少し読んで挫折することを繰り返してきました。
とにかくたくさんの研究結果が羅列されていて、それぞれを理解するだけで大変で、一度つまづくと、なかなか戻ってこれませんでした。
それぞれの研究結果は、社会の前提をくつがえしかねない大きなテーマなのですが、それらをこれでもかというくらいの量で並列的に投げかけられると、複雑であるという印象のみが残ってしまっていたのです。
また、下條信輔氏は、本書で、本人独自の解釈や仮説を、積極的には述べていません。
だからこそ、研究結果の解釈は読者の考えに委ねられています。
本書のレビューは、まずはじっくりと一章ずつ、書かれていることをまとめていくことを中心とします。
そして、この作業が終わってから、別途自分の考えをまとめていこうと思います。