下條信輔氏の前著『サブリミナル・マインド』では、潜在的過程が現代的人間観にもたらす影響について、犯罪の問題を例に取り上げました。
本著では、向精神薬がもたらした影響を切り口にこの問題に挑んでいます。
向精神薬プロザック
画期的な抗うつ剤
プロザックとは1980年代末に開発され、90年代から幅広く使用された画期的な向精神薬です。
効き目がすごかったので、 アメリカでプロザック現象と呼ばれるほど社会的な影響をもたらしました。
それまで、他の薬やカウンセリングではわずかな改善しか見られなかったのに、プロザックの服用によって、治ったという以上の変化を示しました。
うつの症状である、気分がふさいだり、悲観的になることがなくなり、活力がよみがえり、人格のバランスや人間関係も一気に良くなるという効果が出ました。
この薬は効く範囲が広く、健常者にまで効いて、副作用はわずかでした。
この薬の登場により、このような理想的な薬の開発がもはや絵空事ではないことを私たちに実感させました。
同時に倫理的な問題を提起しました。
健常者が薬によって快活になり、大いに出世して人望のある社長になったとして(実際にこれに近いことはかなりの確率で起こったとされています)、この人物がプロザックを服用していたかどうかは、この人物に対する評価を変えるのではないかと、多くの人は感じるのではないでしょうか。
大きく三つの批判、懸念があります。
- 人体に対して何らかの危険性があるのではないか。
- ずるい、不公平である。金持ちだけが得をするのではないか。
- 思想的立場から。不安、恐れ、悲しみなどの感情が進化の過程で淘汰されずに生き残り、健康な人の心的経験の大きな部分をしめてきたのは、生物学的に重要な働きがあるのではないか。
1と2については、潜在的賛成派といえます。
この考えの人たちは、危険性や、公平性に問題がなくなれば、賛成派にくら替えします。
嗜好品はインモラルか
習慣的にモノに頼る修正は誰もが持っています。
胃薬を習慣的に飲む人や、酒、タバコ、コーヒーに頼る人、これらはプロザック以上に依存性があり、禁断症状すらあリます。
プロザックだって嗜好品として通るといえます。
薬は環境であり脳である
薬は脳にとって環境の一部です。
ただし神経伝達物質という形で脳そのものの一部にまでなってしまう特殊な環境といえます。
増殖するプロザック現象
プロザック現象は薬だけでない
杖、自転車、自動車も身体の拡張に当てはまるのに、倫理的問題とされません。
身体の外側に切り離されていて、誰の目にも道具として見えるからです。
より身体の内部へ、脳の内部へと食い込んだ方向に倫理的問題が生じます。
たとえば、化粧品と整形手術のちがいがあげられます。
下條信輔氏は、脳ー身体ー世界の境界のあいまいさ、そのゆらぎから問題が生じていると解説します。
現代のテクノロジーでは、身体を補完するもの、脳を補完するものまで、この境目はますます曖昧になり、かつその振れ幅は大きくなっています。
たとえばノートや、PCを使って勉強するのは当然のことですが、記憶を助ける薬となるとどうでしょうか。
私たちには、意図的で持続的な努力をともなわずに、外部からの助けだけで成果を上げるのは倫理に反するという感覚があります。
自然物対人工物
何が自然かの基準はむずかしく、連続体ができてしまいます。
ドーピング疑惑に対して、「天然の滋養強壮食品を使ったのだ」とある国のコーチの有名な反論があります。
薬の大部分はもともと自然界の産物であり、化学的組成だけをみれば人工的に合成されたものと同じです。
結局どこまで行っても、明確な境目はみつからないのです。
倫理の基準は何か
これらの事例にすべて共通しているのは、環境の一部を作り変え、身体または脳の一部として使ってしまってもいいかという問題です。
あるいは身体の一部を作り変え、天性の身体や脳と同じように使ってもいいかという問題でもあります。
しかし「天性」のとは何でしょうか。
経験で獲得したものがいいなら、薬を飲むのも、手術を受けるのも、経験のうちになります。
下條信輔氏は、脳、身体、環境の関係をどう見るかによって、倫理基準が変わってくると述べました。
物質と精神
遺伝決定論との関係
遺伝的に決まっている価値だけでヒトを評価しようとする立場と、他方テクノロジーで可能なことは何でもためらわずに投入し身体も脳も改造し、幸せを勝ち得ようとする立場があります。
この二つの方向は一見正反対にようですが、根底的なところでは共通に「生物学的物質主義」という流れがあると下條信輔氏は解説します。
精神の価値や問題をすべてモノに還元して理解したり、解決しようという考え方です。
人工身体 人工脳
脳は心のようでモノの話、薬はモノのようで実は脳の話です。
ならば外部に身体の一部を作っても、脳の装置の一部を作っても問題はなかろうという主張が成り立ちます。
結局全部つながっているのだから一緒だろうと。
下條信輔氏は、この議論が忘れているのは再び「来歴」であると主張します。
これがより本質的な意味での「倫理的問題」であるはずで、「来歴」を深く理解することなしに、特定の薬や手術の効果を予測することはできないと述べました。
実態をできるだけ正確に捉え、何が新しく提起された問題なのかを考え、それをこれまでの「来歴」と照らし合わせる。
よい、悪いの後づけの論理よりは、私たちのルールの方をいち早く新しい脳ー身体ー環境の状況に合わせていくこと。
このような柔軟な姿勢によって飲み、重大な倫理的「錯誤」を避けることができるのではないかと述べました。
プロザック現象の意味
プロザック現象は脳と身体と世界が緊密に連携するありさまを、非常に具体的なレベルで実感させてくれました。
向精神薬は、まさにその連携の様式そのものにはたらきかけるから効くのです。
薬は外界に属するモノの一部でありながら、同時に消化器を経て取り込まれれば身体の一部となり、神経伝達物質に作用して脳の一部とさえなるのです。
また、脳科学が時代の人間観を急速に作り変えるという認識や、意識と物質の思いがけない近さを垣間見ることができました。
そして思想の再編成です。
遺伝決定論と人体加工論はかつては完全に相対立する立場でした。
しかし精神をモノへと依存する傾斜(プロザック現象)が急になるのにともなって、この両者は新しい野合関係に入りました。
例えば、同じ遺伝決定論の立場でも、遺伝子による差別も出てくれば、遺伝子治療やバイオ・エンジニアリングも出てくるのです。
還流する意識
脳の中を受身で自働的で生理的な装置と、より能動的で意図的な制御者とに分けることは、錯誤であると下條信輔氏は述べました。
人工物が身体と脳に侵入するのにともない、逆に脳は限りなくからだと世界の方向にその触手を伸ばしながら、複雑な観念のねじれと現実的な問題を発生させています。
下條信輔氏は、このような問題に直面するとき、私たちはもう一度脳の来歴をつぶさにみることから出発する必要に迫られているのではないでしょうかと、本書の最後を締めくくりました。
まとめ
私たちは、人工物は身体になるべく取り入れるべきではない、という倫理観を持っています。
化学調味料や、遺伝子組み換え食品などを避けたいと考える人たちが多数いるとこがそれを物語っています。
しかし、人工物の人体に対する安全性が広く確認されれば、一気にその倫理観は崩れると思います。
本章で紹介されたプロザック現象は、人工物と身体、脳との境目はかなりあいまいであるとの現実を私たちに見せつけました。
本書が刊行されたのは1999年であり、この流れには抗えないと下條信輔氏が述べたように、その後、私たちはスマートフォンを外部脳として日常的に使うようになりました。
現在のスマートフォンは身体の外部に切り離されて道具として認識されていますが、小型化されたデバイスが身体のより近くに、そして内部に侵入していくのは時間の問題といえます。
そのような時が来て何らかの問題が発生したときには、下條信輔氏が本書で何度も強調したように、脳の「来歴」という概念に立ち返って、現象を解釈したいと思います。