すべての人は「価値マックス」な存在である。
これはグッドバイブスにおける前提となる考え方です。
今回の勉強会では「なぜ、価値マックスなのか?」、「価値マックスと思うためにはどうすればいいか?」という2点について、じっくりと学び、以前に比べて腹落ちできるようになりました。
価値とは何か

倉園佳三さんは価値を考えるにあたって、「人が創ったもの」と「人が創らなかったもの」に分けました。
「人が創ったもの」の価値には以下の4つの特徴があります。
- 人が決めている
- 変化する
- コミュニティによって変わる
- 人がいなくなれば価値がなくなる
倉園佳三さんは、日本円の硬貨とパチスロのコインを例にあげました。
日本円の硬貨の価値は日本政府がそれを決めて、国民の多くがそれを共有しています(1.人が決めている)。
そして、その価値は、為替市場の中で秒単位で変わります(2.変化する)。
パチスロのコインは、パチスロ店に通う顧客にしか価値がわからないものです(3.コミュニティによって変わる)。
日本円もパチスロのコインも人がいない無人島では、ただの金属片でしかありません(4.人がいなくなれば価値がなくなる)。
このように価値というのは、絶対的なものではなく、人やコミュニティによって創造され、かつ変化するものだとわかります。
価値マックスとは
「人が創らなかったもの」とは自然界の森羅万象です。
森羅万象のもとをたどると、ビッグバンという宇宙の誕生に行き着きます。
宇宙が誕生して、銀河系、太陽系、地球、月ができて、地球上に水や生命が発生しました。
地球に最初の生命ができた後、数億年もの年月をかけて、人類が生まれました。
そのようにとらえると人間は、間違いなく森羅万象のうちの一つです。
太陽や地球と同じく、存在しているだけで絶対的で普遍的な価値があります。
だから私たちは「価値マックス」な存在なのです。
私たちは価値マックスな存在であることを知っている
私たちは、人の価値がマックスであると知っています。
なぜそう思えるのでしょうか。
親は、生まれたばかりの子に対して、無条件に価値マックスと思うことができます。
赤ちゃんというのは、生産性ゼロであるという意味では無価値とも言えます。
そんな存在に対して、私たちは価値マックスであると思うことができるのです。
なぜ自分が価値マックスと思うことが必要なのか
自分自身の価値がマックスではないとすると、自分は弱いという前提に立たなくてはなりません。
そのため恐れ、不安を抱き、防御や攻撃を行うことになります。
誰かや、組織が自分を傷つけるかもしれないと思って、常に身の回りの危機を想定しなければならなくなります。
自分が価値マックスになる方法
誰かを価値マックスと思うと、自動的に自分も価値マックスになると、倉園佳三さんは説明しました。
子のためであれば何でもできると思える親は、確かに強いです。
他人を価値マックスと思うことで、他人も自分も価値は等しいから、自分も価値マックスだと自然に思えるようになります。
人を価値マックスと思うことは、人を愛するという「意志」である、と倉園佳三さんは表現しました。
愛するとは何があっても許すという「意志」です。
自分に対しても、他人に対しても、何があっても許すという「意志」を持つことが、自他を愛することだとわかりました。
自分を価値マックスと思うことを妨げる要因3つ

なぜ自分自身に対して価値マックスと思うことが難しいのでしょうか。
私たちが日常生活において、自分を「価値マックス」な存在と思うことを妨げている要因が3つある、と倉園佳三さんは解説しました。
- 人の評価にゆだねている
- 自分自身をコーティングしている
- 身体を見ている
人の評価にゆだねている
価値を人の評価にゆだねている限りは、自分の価値は常に上下を繰り返します。
倉園佳三さんは、とある社員(Aさん)の例をあげました。
Aさんは、上司から信頼されていたため仕事を任せられ、最高の実力を発揮していました。
その後上司が代わりました。
その上司はAさんのことを信用せずに一挙手一投足を監視しました。
Aさんは、その実力を発揮できなくなりました。
価値を人の評価にゆだねるこで、私たちの価値は常に上下を繰り返すことになります。
自分自身をコーティングしている
倉園佳三さんは、地球の表面はコーティングされていると表現しました。
本来は常に変化するはずの地表は、舗装することで安定し、その上で人々が文明を営むことができるようになりました。
私たちも、地表と同じように、素の自分の上にさまざまなものをコーティングしています。
それが、子供の頃に親や先生から受けてきた、しつけ、教育、です。
コーティングは失敗した経験、誰かから強制されたことなどからできています。
犯罪になるようなこと以外であれば、すべてのコーティングを取り払っていいと倉園佳三さんは強調しました。
そしてコーティングの取り外し方を解説しました。
それは過去に自分の価値が下がったと感じた出来事をひとつひとつ思い出して、許すという方法です。
近い過去から振り返って、幼少期まで遡っていきます。
自分を許すことができたら、その次に他人を許していきます。
一割程度のコーティングが取れるだけで、光が漏れ出すように、その他のコーティングも溶かしてくれると、倉園佳三さんは解説しました。
身体を見ている
倉園佳三さんは、本来の自分とは身体とは別にあるとして、それを「意識」と呼びました。
私たちは、身体とは別のところに意識があるということを想像することかできます。
例えば、『君の名は』というアニメでは、男女の身体に意識が入れ替わりました。
『美女と野獣』では、野獣に王子様の意識が宿りました。
もし愛する人が意識だけだった場合(会話はできるが身体はない)と、身体だけだった場合(会話ができない)、どちらがいいかと尋ねられれば、ほとんどの人は意識だけの方を選ぶでしょう。
意識と身体の関係を、倉園佳三さんは機関車トーマスの例で解説しました。
機関車トーマスは機関車ですが、その前部に顔があり、機関車という身体とトーマスの意識は一体となっています。
倉園佳三さんは、機関車の本当の意識はトーマスではなく、運転手であると述べました。
運転者は、機関車を大切な道具ととらえて、メンテナンスをしっかり行います。
機関車トーマスのように、機関車と意識が一体であれば、無理をします。
人間も同じように心が身体寄りになると、無理して身体を壊してしまいます。
身体は傷つきやすいので、身体寄りになることで心は敏感になります。
逆に意識寄りの心は平安で強くなります。
価値マックスであると仮定してから解釈する
自分の価値を他人の評価に委ねると、扁桃体が働いて、海馬が連動して記憶に残りやすいと佐々木正悟さんは解説しました。
佐々木正悟さんは、ご自身の著書のAmazonレビューで1の評価のコメントだけが頭に残り、4や5の評価のコメントは覚えていないと、例をあげました。
幼少期の記憶についても、怒られたことだけ覚えていて、褒められたことはあまり覚えていないと付け加えました。
扁桃体の活性化は、進化で獲得した脳の防御本能ですが、現代には役に立たなくなっていると佐々木正悟さんは強調しました。
そしてこのようなときは明らかに、事態に対して合理的な行動が取れているとは思えないと述べました。
佐々木正悟さんはグッドバイブスを知ってからは以下のように対応しているそうです。
1回目にレビューを読んだときに感じることはしょうがないと思います。
2回目に読むときには、自分が価値マックスと仮定し、傷つくはずがないと思うようにすると、それほど深く悩まなくなったそうです。
評価4や5だけを重視して行動できる方が現代では合理的です。
評価1を見て恐れるのは、身体的なことが理由になっていると佐々木正悟さんは説明しました。
恐れの中身は、最終的に路頭に迷って食えなくなるとか、寒さをしのげなくなるなどの妄想です。
価値マックスという仮定でレビューを読むと、批判の文章はほんの一部であって、評価の数字とは連動していないと冷静に読めるようになったそうです。
まとめ
今回のセミナーを受講して、なぜ私たちは「価値マックス」なのか、またなぜ「価値マックス」と思う必要があるのかがわかりました。
そして私や他人を「価値マックス」と思うことは、前提であるのだとわかりました。
私は、たすくまでタスク管理を行っていますが、毎朝のタスクに前回の内容「私は本当のことは何も知らない」に、今回の「私たちは価値マックスな存在である」を加えました。
毎朝このタスクを見るだけで、コーティングを少しずつ剥がすことができているという感覚があります。