2016年3月11日をもって、25年間在籍した会社を退職した。
1月28日が最終出社日で、その後残った有給休暇を全て使い切り晴れて無職の身となった。
ここに至るまでの経緯と心境を文章として残しておきたい。
脱サラの経緯 独立を夢見る日々
僕はサラリーマンとして金銭的にも恵まれ、休日は趣味を楽しみ充実した生活を送りながらも、いつかは独立したいという思いをかれこれ10年以上持ち続けていた。
また、このまま定年の60歳まで勤めた後に、それから自分で仕事をおこしていくというのは遅すぎるのではないかと強く思っていた。また、定年まで勤めたくてもそれができるのかとのそもそもの疑問もあった。
仕事にまつわるストレスはあったが、会社や仕事に不満があった訳ではない。風通しが良くて、外資系でありながらも人情味の深い会社だった。
スムーズに独立するために、副業をスキマ時間で継続していきながら、軌道に乗りそうなメドがついたら辞めようと考えていた。
毎年年初にはそのような計画を立てるのであるが、結局はほとんどできずに1年があっという間に終わってしまうという繰り返しになっていた。
思い切って仕事での夜の付き合いを断つ、趣味を一定期間でも断つなどの方法を取れば副業の時間は捻出できたのだろうが、その方針は一度も取ろうと思わなかった。会社員であるかぎりは起業は無理で、まずは辞めないと始めることはできないのではないかと思いもあった。
いつもそんな思いを持っていながら、3年から4年おきに会社から新しい役職や、転勤を命じられてその思いが弱くなり、3年目くらいに慣れてきてまた辞めようという思いが強くなる、の繰り返しであった。
脱サラの決断
しかし2015年の年末は同じポジションで4年を経過し5年目になる来年もそのままではないかという雰囲気が漂っていた。僕の経験では5年目というのは初めてである。5年も同じ仕事はしたくない、今しか辞めるタイミングはない、と思い込んだ。
何をしていくのか全くのノープランだが1年くらいは食べていく蓄えはあることは幸いだった。
2015年11月9日に妻に自分の意思を伝えて腹が固まった。
脱サラ 会社への報告
会社の次年度の人事の内示が出る12月中旬から遡って1ヶ月前には意思表示しなければ会社に迷惑をかけると思い、上司に言うタイミングを図った。上司に言ったのは10日後の11月19日だった。
その後、ありがたいことであるが噂を聞きつけた会社の複数の諸先輩方が留意するようにと説得の飲み会を開いてくれた。それでも決意は変わらなかった。
12月18日に会社の次年度の人事がオープンになり、やっと身近な人たちに退職することを公言した。みな一様にびっくりしていた。
当然のように次は何をやるんですか?と聞かれてもちゃんと答えられず、このやり取りに慣れるまで時間がかかった。
参考にした本、記事
決断するまで、サラリーマンが脱サラして起業する関係の本やネットの記事は何度も読んだ。
書籍で参考にしたのはこちら
好きなことだけして生きていく 心屋仁之助 著
「そろそろ会社辞めようかな」 山口揚平 著
特に背中を押されたのはネットでは堀江貴文さんのこの記事。
まとめ
考えた抜いた末での退職であったが、やはりノーブランで辞めるのはいかがなものか、何とかなるだろうとの考えは甘いのではないか、と自問自答することも多い。
しかし多くの先人たちが言っている「好きなことをして食べていく」状態でいれるよう、いろいろなことにチャレンジしていきたい。