正解と錯誤を生み出す暗黙知の正体を暴こうという章です。
「記憶」の正体を考え、脳の「来歴」という概念を持ち出すことにより、遺伝か環境かに偏ることなく、 脳と環境のダイナミックな相互作用を理解することができます。
脳へ、ミクロの神経機構へ
正解と錯誤の差はどこにあるのでしょうか。
そのメカニズムを知るために、脳のミクロに分け入ってみます。
ニューサムらの実験が紹介されました。
覚醒したサルに、ディスプレイ上で同じ方向に一定の方向で動く点(シグナル)と、それ以外の様々な方向に動く点(ノイズ)を見せて、サルをシグナルが動く方向に向かって目を動かす反応をするように訓練しました。
同時に、サルの頭頂葉のMT野と呼ばれる部分に電極を刺して、ニューロンの発火活動を調べました。
この知覚課題の成績のよしあしは、ニューロンの発火によってきわめてよく予測できました。
エラーをしたケースでは、エラーの方向の選択性を持つニューロンが発火していることがわかりました。
さらに、ニューロンに刺した電極に電流を流し、刺激を与えることによってそのニューロンの活動水準を人工的に高めたところ、そのニューロンの好む方向に、サルの知覚判断をバイアスさせることができました。
これは知覚判断の錯誤です。
しかし、このMT野に誤作動はありません。
正解とエラーでは、MT野のニューロンの活動は一緒なのです。
その前の段階でも、そのニューロンに接合している多数のニューロンの活動があるだけです。
脳内の神経過程に分け入っていくと「錯誤」はその定義ごと蒸発して「正常な」神経過程だけが残ると、下條信輔氏は表現しました。
ヒトにおいてはどうでしょう。
分裂病患者における幻覚、幻聴などの現象は錯誤といえるでしょうか、少なくとも正常ではないことは明らかです。
しかし脳の中に分け入ってみると、ここでも当然の神経活動が見られるのです。
毎夜宇宙人と交信しているというような典型的な分裂病の妄想であっても、実際に会話しているときと同様の神経活動が記録されることは十分ありえます。
幻覚が見えるときは視覚皮質に活動水準の上昇がみられ、幻聴の聞こえるときは聴覚皮質に上昇がみられるのです。
健常者のメンタル・イメージでも同じような事実がわかっています。
色や形をありありと思い浮かべられるときには、視覚皮質で活動が記録されます。
このようなことは、機能的MRI、PET、MEGなどの方法で確認されています。
ニューロンの発火はエラーでも正解でも同じであり、ミクロの世界は常に「正しい」のです。
記憶ー環境という外部装置
脳の内部に入り込み、ミクロのレベルまで降りて行っても、エラー=錯誤の正体を見極めることはできませんでした。
この問題の核心に迫るためには、どうしても脳と外の世界との関係を考える方向が必要だと下條信輔氏は強調します。
記憶という機能がこの問題を考えるうえでよい例となります。
そもそも記憶とは何なのか、そしてわれわれの中のどこに存在するのでしょうか。
記憶とは、PCのハードディスクのように、脳内のどこかに完全な痕跡として残っているもので、思い出せないのは、うまく引き出せないだけというのが、私たちが何となく信じている考え方です。
しかし実際は違うことがわかっています。
「記憶は一見、過去の正確な記録のように見えるが、実はそうではない。むしろその都度の状況に応じて、新たに構成されるものなのだ」とJ・コートルは著書『記憶は嘘をつく』の中で主張します。
退行催眠での記憶もあてにならないことがはっきりしてきています。
退行催眠では、想起する事象の数は大幅に増えるものの、信頼度は下がり、にもかかわらず本人の確信度がきわめて高くなることが、数多くの研究で報告されています。
では記憶とは何なのでしょうか。
頭の中の一部に「痕跡」として孤立して存在しているものではなく、周囲の環境、本人の経歴、その他あらゆるものに「もたれかかる」形で成り立っていると下條信輔氏は解説します。
何らかのコンテンツが環境や経歴にもたれかかるのではなく、「もたれかかり」そのものが、記憶のコンテンツなのです。
記憶にはそれを成り立たしめるさまざまなものが必要ようです。
「それを成り立たしめるさまざまなもの」が実は記憶の本体であるとも言えます。
そう考えると、記憶は、そこら中にあまねく散らばって存在していると、下條信輔氏は述べました。
脳の来歴ー順応について再び考える
主体と環境との相互作用を深く理解するために、順応、適応、学習などの言葉だけでは不十分と考えた下條信輔氏は、脳の「来歴」という概念を打ち出しました。
環境と脳は身体を介してかかわります。
遺伝的にある程度決まっている身体の構造と機能があり、他方、優れた学習機能と多様な可塑性を持つ脳があります。脳の機能は、遺伝的に決められない部分を経験によって補う機能にほかならないと下條信輔氏は述べます。
身体の構造は、かなりの程度まで遺伝的に決まっています。環境の中に満ちている刺激も、よほどの異常でもないかぎり、だいたい決まっています。
それゆえ、われわれおとなは、多かれ少なかれ、似通った知覚と行動のパターンを持つのです。
脳が環境により適合するように自らを変え、その結果、知覚系と行動系が環境に対して完璧に適応的なものとなります。
そこで、環境が突然激変した時には、過去に根ざしたこの知覚と行動の記憶の総体が「錯誤」をもたらします。
同時に、環境が激変しないとき、あるいはしても適応に十分な時間を与えられたときには、錯誤の逆の「正解」、すなわち適応的な知覚あるいは行動をもたらします。
この経緯の総体を、下條信輔氏は脳の「来歴」と呼びたいと宣言しました。それは生得説にも経験説にも加担しない、両方を橋渡しするダイナミックな概念です。
脳の来歴が「錯誤」(不適応)と「正解」(適応)を定義し、過去から現在に至る経歴のすべてが、それには含まれるのです。
具体的には、あらかじめ持っている遺伝情報と発生、それから初期(特に脳の臨界期)における経験を通した神経系の形成、この経過が来歴の中核をなします。
脳の臨界期とは、生後比較的若い時期の感覚・行動の経験が脳の構造を決め、しかもこの作用は不可逆であるという期間のことです。
遅くても7、8歳までの言語環境と経験がその人の母国語を決めるという事実があります。
視知覚については、もっと幼い時期、特に生まれてすぐの十数か月間の環境が大きく影響し、言語の場合よりもさらにはっきりと知覚世界の内容を決めることがわかっています。
生直後に垂直縞の環境で育てられたネコでは、垂直のエッジ(線・輪郭)にもっともよく反応するニューロンが一番多くなることが実験結果でわかっています。
下條信輔氏は、脳の「来歴」を樹木の年輪に例えました。年輪は過去の記録でありながら、同時に現在の木=知覚の状態そのものであるからです。
まとめ
本章は、ときには正解、ときには錯誤をもたらす暗黙知の正体を明らかにしたいという問いで始まりました。
脳の「来歴」という概念を持ち出すことにより、遺伝か環境かという問題に偏ることなく、この問いに答えることができました。
脳の「来歴」という観点に立てば、これら両者ははじめから分離不可能な関係にあり、ダイナミックにカップリングされているからです。
脳の機能と環境との相互作用そのものは、私たちにとって気づきにくいものであり、環境そのものが実は認知システムの一部、外部装置であると下條信輔氏は述べました。