前野隆司氏の「受動意識仮説」、「錯覚する脳」を読んで、自分なりに深く納得しました。
その前野隆司氏が現在「幸福学」を提唱していて、受動的な幻想である幸福感を、どうして個人が高めることができるのかと、大きな矛盾を感じていました。
本書を読んで、それは別次元の話しであるのだと理解できました。
前野隆司氏が「受動意識仮説」で展開した、意識は錯覚であるという思想を、本書では「システム思想」と呼んでいます。
「システム思考」と、「システム思想」と、本書では2つの言葉が出てきますが、一文字違いで、大きな意味の違いがあります。
そしてこの「システム思想」を基盤として、どのように現実的な問題に取り組むかという方法が書かれています。
小さな問題から、大きな問題まで、全てに柔軟に対応できる考え方を学ぶことができました。
受動意識仮説 前野隆司著【レビュー】「意識」と「無意識」の関係がわかったかも
前野隆司氏によるシステムとは
システムとは複数の構成要素から成り立つものです。
システムとは、1足す1は2以上になることです。
例えば、2本の棒を組み合わせると、箸というシステムができます。
それぞれの要素は木の棒ですが、2本組み合わせることで、食べものをつかむという新たな機能が加わります。
システム化によって新たに機能が生まれることを創発と呼びます。
前野隆司氏はiPodがウォークマンを凌駕したことを、システム化の例としてあげました。
iPodは単なる携帯音楽端末ではありません。
音楽業界とインターネットとユーザーの関係を、iTunesというシステムによってデザインし直したのが、iPodなのです。
システム思考で使う3つの手法
システム思考とは、事象を要素に分解し、それぞれの関係性を把握することで、全体像を把握する考え方です。
ツリー型
MECE(Mutually Exclusive collectively exhaustive)とは、重なりなく、それでいて全体を網羅するように分類する概念です。
箇条書き、ロジックツリーは、代表的なツリー型手法です。
マインドマップもこの分類に含まれます。
マトリックス型
MECEな二つの軸で、要素の関係を把握することができます。
二つの軸が得られている時しか使えません。
ツリー型と、マトリックス型をまとめて、要素還元思考とも呼びます。
ネットワーク型
世の中は本来ネットワーク型です。
言語という直列的な表現で表せないような、並列分散的な有様を直接表現できます。
相互に入り組んで関係しあっている構造を可視化することができます。
MECEには整理されません。
因果関係ループや、システムダイナミクスもこの分類に含まれます。
システム思考の限界
前野隆司氏は、上記3つの手法を、所詮、現実世界の「モデル」に過ぎないと強調します。
現象の振る舞いを単純化したり、抽象化したりすることで、机上検証するために用いられるためのものであって、現実の世界を再現することはあり得ないのです。
現実の因果関係、相関関係は、非線型である場合が多いからです。
中でも、ツリー型、マトリックス型を含む、要素還元思考は、ネットワーク型に比べて単純化が大胆なので、それをよく自覚した上で使うべきです。
ポスト・システム思考とは
MECEや論理思考、システムの中と外、原因と結果、自己と他者などの概念に疑問を呈することから始まる思考法です。
ポストモダン哲学との類似性を際立てる意味で、前野隆司氏がそう名付けました。
ポストモダンとは、個人という主体的なあり方を否定するものです。
自他非分離、主観・客観の非分離の考え方です。
現代社会は複雑さを増しています。
従来の工業製品や、統治機構は、システム思考が適用できました。
複雑さが小さかったからです。
現代社会は、複雑系とカオスであり、未来は予測できないし、場合によってはシステム思考も不毛に終わってしまいます。
予測不可能な人工システムの象徴がインターネットです。
科学とは定義という仮定の上に成り立つもの
ぼくは、科学こそが、誰もが再現できる点で、全員が合意できる正しい考え方だと疑わずに生きてきました。
しかし、前野隆司氏は、科学とは、人間の頭で理解するために現実にはありえない「定義」という「仮定」のもとに成り立っている考え方なのだと、強調しました。
不確定性原理では、観測者の存在が現象に影響します。
例えば、ニュートンの運動方程式は、速度は光速に比べて0に近いという仮定のもとに成り立つ、アインシュタインの式の近似式に過ぎないのです。
ボスト・システム思考の2つの手法
前野隆司氏は、この不確実なポスト・システム思考を実現するための具体的な手法を二つ紹介しました。
アーキテクティング
コンセプトを具現化し、要素の間の関係性を明確化する手法です。
コンセプトとは、そもそも不確定性の高い問題を解くので、ポストモダン的思考を必要とします。
サイエンスではなく、アートとして創造するところがポイントです。
サイエンスは、唯一の絶対的な解を求めますが、アートにはそれはありません。
イマジネーションを用いて創造的に解を求め、それは最適解ではなく、満足解のうちの一つになります。
正しいかどうかの評価は、外部からの評価となり、結果で勝負ということになります。
アコモデーション
社会システムデザインに必要な手法です。
ポストモダン的思考が、人々の無意識に定着した現在、トップダウンによるデザインは不可能だと、前野隆司氏は分析します。
異なる視点や意見を持った人々やグループ全員が納得する合意を見つけ出すのが、アコモデーションです。
現在高まっている、保守的、原理主義的機運は、普遍的価値などないことが明らかになった反動として、それを認めたくない人が逃げ込んでいる世界であると、前野隆司氏は解説しています。
ボスト・システム思考は自他非分離
システム思考は、自他は分離できるものと仮定した、客観的、第三者的学問です。
ポスト・システム思考は、第三人称的学問と第一人称的学問の垣根を取り去った、自他非分離な立場といえます。
アーキテクティングもアコモデーションも第一人称的な考えが多く含まれています。
良いシステムをデザインするための構造、組織になっていて、かつそれを使う人、組織の人々の、満足感・充実感・納得感も高いことを同時に考慮しています。
システム思考では、「我思う、故に我あり」という言葉で、主体的意識の存在があると定義しています。
ボスト・システム思考では、主体的意識の有無は問いません。
現在前野隆司氏が研究している「幸福学」はポスト・システム思考に含まれるとわかりました。
システム思想
前野隆司氏が最後の段階と呼ぶのがシステム思想です。
悟りと幸福に関係します。
ポストシステム思考は、何かを論じている以上は主体性のある自己を仮定するから、本質的には全体的視点に立てないという自己矛盾を含有しています。
論理的に論じることを超越するのが、システム思想です。
西洋的理論を超え、禅問答を理解する立場です。
自己というのはもともと無だから、それを肯定しようが否定しようが、もともとは無いというところから出発します。
釈迦の空、老荘の無、西田幾太郎の絶対無の哲学という、東洋思想です。
前野隆司氏の以前の著書「受動意識仮説」や「錯覚する脳」は、物的な心身一元論からこの思想にたどり着いています。
実生活での4つの思考の使い方
本質的に無または空であることをいくら理解しても、世捨て人になるか、出家しない限りは、それを実践していくことはできません。
前野隆司氏は、本質的な概念と目前のものごととは全く別次元の話として捉える必要がある、と述べています。
本質的には、システム思想の立場を理解しながら、目の前に起こる出来事には、要素還元思考、システム思考、ポスト・システム思考の間を縦横無尽に行き来しながら対応していくのです。
前野隆司氏は、それを「着眼大局、着手小局」と表現しています。
この4つの思考法は、システム思想を一番大きな箱として、入れ子構造になっています。
一番大きなシステム思想をもとにしていれば、視野が圧倒的に広いから、より「ぶれない」判断につながると力説します。
前野隆司氏は、現実的な問題を、要素還元思考40%、システム思考30%、ポスト・システム思考20%、システム思想10%という感じで対応すべきと述べています。
この比率は、時代や立場によっても変わると思いますが、数値化してくれたおかげでより現実的に考えることができます。
まとめ
ぼくは、前野隆司氏の「受動意識仮説」、「錯覚する脳」を読んでから、同氏が現在展開している「幸福学」と矛盾するのではないかとの疑問を抱えていました。
これらの本によると、「幸福」と感じる心も、単なるニューラルネットワークの発火の結果として受け取った幻想であり、意図して「幸福」を目指すことはできないはずだと思ったからです。
本書を読んで、本質的な概念と、目の前の事象は、別次元の話なのだということが理解できました。
「幸福学」とは、ポスト・システム思考に分類できる自他非分離の考え方であり、自己についての矛盾を抱えてはいるものの、現代社会に必要とされる考え方であると理解できました。
さらに上のシステム思想を持っておくことで、「幸福学」で対応できない矛盾にも、広い心で対応できるのだと思いました。
ぼくは、最上位の解が、現実問題もすべて解決できると考えていて、それが「受動意識仮説」にあると考えています。
しかし、そのような考え方を、目前に起こる出来事すべてに対応することはできません。
本書を読んで、思考方法を4つの段階に分けて、それぞれをどう使いわけるべきかがわかりました。
また、科学的思考は何にも優先すべきだと考えていましたが、この考え方はある一面の考え方であることもわかりました。