『グッドバイブス 安心力で生きる: お金、評価、目標、健康、残り少ない時間? 人生100年時代を「不安ゼロ」にする12の技術』 は、ぼくにとっては「不安」に対して、安心力を与えてくれるバイブルのような本です。
佐々木正悟さんの質問は、ぼくたちが抱く漠然とした「不安」の核心をズバリついています。
倉園佳三さんは、まず「不安」の裏に潜む「イリュージョン」を明らかにします。
その上で、グッドバイブスにいたる考え方をわかりやすく、ていねいにかみくだいて説明してくれます。
この問答を読むことで「グッドバイブス」をより深く理解できる仕組みになっています。
第1章の「徹底的に受け身」の状態で判断するについてレビューします。
最近読んだ、前野隆司さんの「受動意識仮説」のことが強く頭に残っていて、この内容を踏まえて考えてみました。
「徹底的に受け身」の状態で判断する
佐々木正悟さんは、この言葉に対して、
ただ偶然に身を任せるというのは怖い、もし何にも導かれることがなかったらどうするのか
という、まさに誰もが思うであろう質問を投げかけました。
倉園佳三さんは、まず「受け身」に対する誤解があると指摘しました。
ぼくたちは、「本当は受け身的に選ばれているのに、それを能動的に自分が勝ち取ってきたと思い込んでいる」というのです。
これは、にわかには信じがたいことです。
しかし、よくよく考えてみると、能動的だと思ってきたことは、実はそうではなかったことがわかります。
ぼくたちがものごとを決定するときには、もとをたどると、すべて他者や、何らかの外側からの情報がきっかけとなっているからです。
誰しも、何もないところから、自分だけで選択をすることはできないはずです。
完全に「受け身」でいいのか
佐々木正悟さんは、能動的な選択には誤解があることを理解したうえで、それでもさらに、質問を続けます。
まずは生活の安定が得られるように、能動的な方向づけは、ある程度は必要ではないか。
その上で流れに身を任せるようにしないと、危なっかしすぎるのではないか、
というまっとうな質問です。
倉園佳三さんは、「導かれる」とは、ただ単にボーッと待っているという意味ではないと、答えました。
しかし、人生の方向づけの「選択」の「根拠」は、「自分都合」であってはならないと、強調しました。
なぜなら、そのような「自分都合」とは、自分と世界を切り離した、「孤立」の考えだからです。
徹底的に「受け身」とは、他の人とのつながりの中で、ものごとを選択することなのです。
「いま」の自分に他の人は「なにを求めているか」に従うのです。
受動意識仮説から考える
先日前野隆司さんの「受動意識仮説」の本を読みました。
その考えに照らし合わせて、今回のテーマを考えてみました。
「受動意識仮説」によると、ぼくたちの行動はすべて無意識に行われていて、能動的に選択したかのように錯覚しているだけです。
つまり、完全に「受け身」でしかいられないのです。
だから、前述の表現を用いると、ボーッと待っている、でいいのです。
また、「受動意識仮説」では、無意識は、自分と外の世界を連続したものとらえているため、「自分都合」の選択をしようがないと言えます。
結局は、選択したこと、行動したこと、はただ単に「認める」しかないのです。
ぼくは、過去の選択をいつまでたっても、悔やんだり、自分を責めたりするくせがあります。
ぼくらは「受け身」でしかいられないし、それを「認める」しかないのだと、考え方を変えたいと思います。
まとめ
「グッドバイブス」と「受動意識仮説」は、とても近い考え方であると感じています。
徹底的に「受け身」で判断するということは、自分というイリュージョンを手放し、他者との「つながり」を感じることです。
意識ではどうすることもできないのなら、結局は、どんな結果であっても、すべてを受け入れるしかないという結論に行き当たります。
書けば書くほど、わかったようで、わからないもどかしさをまだまだ感じてはいますが…。