森田健さんの道教修行の体験と気づきを記した著書『ハンドルを手放せ』 を再度読み直しました。
不思議研究所で販売しているCD「天人合一の旅」を使った瞑想も始めました。
森田健さんは、道教の瞑想体験で、0.1だった視力が回復して1.5になり、いまだにそれを維持しているそうです。
その若返りの瞑想を取り入れたいと思い、上記のCDをガイドに瞑想を開始しました。
このCDの時間は33分ですが、ガイドに従って瞑想しているとあっという間に時間が流れます。
瞑想初心者のぼくも33分という瞑想が毎日続けられています。
森田健さんの3つの気づき『ハンドルを手放せ』
モンロー研究所での体外離脱と、道教の仙人修行で得られた森田健さんの気づきは以下の3つです。
- 私は誰でもない
- 私はどこにもいない
- 私はいつでもいる
私は誰でもない、私はどこにもいない
ぼくは、自分という意識にかなり強く縛られています。
自分をよく見せたい、自分は人から好かれたい、自分は楽をしたい、自分は楽しみたい、などの感情をいつも追い求めています。
また、自分という意識を失うこと=死をもっとも恐れています。
森田健さんは、自分という概念は、人がいつからか持つようになった錯覚だと述べています。
確かに子供は、自分と他人の区別がつかないようなところがあります。
私は誰でもなく、無力で、そして瞬間であるというのが、体外離脱と仙人修行で得られた森田健さんの気づきです。
森田健さんは、本当の私とは時間の流れの中にあり、空間の中に場所としての私はいないと解説しています。
では今自分が感じている気持ち、感情は何なのでしょうか。
私は空間にいないということはどういうことなのか、理解することはなかなか難しいです。
私はいつでもいる
魂は時間と空間に広がっていると森田健さんは解説します。
時間方向と空間方向の広がり方は人によって違うそうです。
成長したい人は空間方向で、プロセスに集中できる人は時間方向です。
感情的な人は時間方向です。
場所としての私は存在せず、時間の流れの中に存在します。
時間の流れとはどういうものなのでしょうか。
時間は未来から過去に流れると森田健さんは説明しています。
今という一瞬を生きろ!とはよく言われる言葉です。
森田健さんも、瞬間を生きる人は、責任を取ることから解放されると表現しています。
好きなことをやろう!もよく言われる言葉です。
しかし、好きなこととは、過去の経験に基づいたものと言えます。
好きなことかどうかはやってみないとわかりません。
子供はなんでもやりたがります。
道教では子供の頃の自分に還るという修行法があります。
今という一瞬に生きるというのは子供の頃のように360度の可能性が開けた状態です。
しかし、今を生きることと、私は時間の流れの中にいつもいるということはなかなか自分の中では結びつけることができません。
時間とは何なのか、もっと考えてみたいです。
まとめ
森田健さんの主張する仮説は、ぼくにとっては正しそうだという感覚がまず先にあります。
しかし、それがなぜなのか、まだ理解が難しいです。
私とは何なのか、自分という意識とは何なのか、時間とは何なのか、読めば読むほど、考えれば考えるほど混乱してきます。
下條信輔さんの著者なども読んで、いろいろな角度から考えて追求していきたいと思いました。