『職業としての小説家』 村上春樹 (著) を読みました。
ぼくは村上春樹氏の小説は読んだことがありません。
本書を読もうと思ったのは、樺沢紫苑さんがアウトプットをする人は必ず読むべきと強く推したからです。
本書を読み終えて、村上春樹氏の人柄がすごくよくわかり、とても村上春樹氏の小説が読みたくなりました。
小説家とランニング
村上氏は、専業小説家になってから30年間、今までずっと1時間のランニングか水泳を毎日欠かしたことがないそうです。
村上氏は走ることを、「とにかくやらなくちゃいけないこと」と表現しています。
村上氏によると小説家とは、心の奥にもぐって創造力を働かせ、それを1日5時間机に向かって書き続ける職業です。
これはフィジカルなものと村上氏はとらえています。
成り行きで小説家になった
村上氏は、「僕が職業小説家であることは、いまだに僕自身を驚かせている」と本書で終始一貫述べ続けています。
村上氏は、なしとげてきた結果について、自分の才能や努力ということはおくびにも出さず、特別な力によって書くチャンスを与えられたと繰り返しています。
それは、成り行きであり、喜びと感謝しかないとも表現しています。
村上氏は、神宮球場での野球観戦のときに、自分は小説を書くと突然ひらめきました。
その後初めて書いた小説を出版社に送ったあと、たまたま負傷した鳩を見つけて交番に持っていこうとしたとき、新人賞を取って作家になると確信したそうです。
村上氏には、ことあるごとに、突然の顕現があらわれるそうです。
村上氏は、小説の素材を、ある事実の興味深いいくつかの細部を記憶することで貯めています。
素材としてとらえた事実は、分析したり、仮説を立てたりしません。
村上氏は、常に事実をありのままにとらえていることで、自身にふりかかる顕現をキャッチしているのではないかと思いました。
自分が気持ちよくなるために小説を書く
村上氏は誰かのために書いている意識はないと強調しています。
小説家にはライターズロックという、書けなくなってしまう状態があるそうですが、村上氏はそれにはおちいったことがないそうです。
なぜなら、村上氏は書きたいときにしか書かないからです。
村上氏は、小説とは誰にでも書ける間口の広い表現形態だと説明しています。
しかし小説家であり続けるためには、書かずにはいられないという強い内的ドライブがどうしても必要なのだと述べています。
村上氏は、自身が文章を書くさまを、音楽を演奏しているかのようと表現します。
まとめ
村上氏がランニングを小説の創造力の源と知ることができ、ぼくが毎朝やっているスロージョギングをさらに続ける意欲が高まりました。
村上氏のように1時間走るのは難しいですが、ブログを書き続けるために少しでも走り続けようと思います。
気持ちよくなるために書くというのは強く共感しました。
気持ちよいことをして職業として成り立たせるということは、ぼくにとってはまだまだ現実として見えてはいません。
現実をありのままにとらえて、いまやるべきことに集中していくことで、そのような境地になるのだと思いました。